2013年10月17日木曜日

夢や願望は口に出せば叶えられる?は間違ってると思うよ。。。。

最近、色々なセミナーの影響なのか、


「夢や願望は口に出せば叶えられる」という法則に従ってという事で、


フェイスブックでも、はたまたどこかの異業種交流会や飲み会でも、


どこでもここでも「引き寄せるため」に私利私欲な欲求を口に出す人が増殖している。


確かに口にだす事は大事で、言わなければ何もかなわないし、引き合わされることはない。



でも、何でもかんでも口に出して、安売りのようにする風潮はどうなんだろうな。と思う。



「大きな大義があったり、その目的や目標に、崇高なものがあった時」に初めて、周りの人が共感し、


この人を応援したいと思うのであって、


一個人のただの欲望や欲求の為に、周りの人や、不思議な力が働く事は絶対にない。


ただ、変なセミナーを聞いたり、本を読んだり、上辺をかじっただけの人間が、


あれが欲しい、これが欲しいと言ってまわっている姿を見ると、


バカな人達にしか見えない。


しかも、自分の能力や価値を高める為の勉強や実践をしていない人たちが、


相手の役にも、社会の役にもたたない人たちが、その言葉を言い続けるのはどうなんだろう。



「口から言っているだけで引き寄せられる。幸せになる」


ある種の他力本願な宗教と変わらないんじゃないかな?


と思う今日このごろです。

2013年10月9日水曜日

人生は選択

自分が会社をはじめるきっかけになったのが、この課題だった。


あまりに不幸なことが起こるもんだから、


人生や運命には勝てない。


そう思っていた時だった。


自分がどんなに努力しても、もともと不幸な運命を持っている自分には幸せは訪れない。


そういう観念に頭が支配されていた。


実際、父親が自殺し借金を数千万かぶって、第三者破産をかけさせる。って言われたときは、


どうしていいかわからなかった。


というか、自分でした借金ではないので、どうでもよくなった。


だから、なんか自暴自棄になっていたんだけど、


ある日、とある社長に経営者向けの研修にさそわれた。

※自分が投資会社に勤めていた頃のお客さんで、数千万円損をさせて人だった。

そこで、自分で学んだことは、本当に自分の人生を変えたと思う。


勉強している内容は本当に簡単なものだ。


たとえば「性格は変わるか?変わらないか?」といわれれば、

前の自分ならば「絶対に変わらない」

と答えていた。


けれど、研修で学んだのは、

「性格はその本人から発せられた様々な情報を第三者が見て、感じて、その情報を基に決めている」
ということ。


自分が発信している情報を第三者がキャッチして、


それを総合的に判断して、自分の性格を判断している。


「表情」「声の大きさ」「姿勢」「態度」「言葉づかい」「積極的か消極的か」などなど


人間はいろいろな情報を自然と周囲に発信している。


たとえば「表情」これは、意識すれば変えられる。

「声の大きさ」これも変えられる。

「姿勢」これも変えられる。

「言葉遣い」これもだ。


実は性格を決めているものって、全部が意識をすれば変えられるものだけなのだ。

そういう風に人間というものを科学的に勉強していった。


しかも座学ではなく、実際に体験型の研修として

心理学や哲学、経営学までを勉強していった。

研修は三日間だったけれど。衝撃的だった。



その中であったのが、「人生は選択」という話。

人生は、AかBかと常に選択をせまられる。

その選択によって人生が決まる。

幸せに生きるにはどうすればいいのか?

それは、間違った選択をしないということなのだ。

じゃあ間違った選択をしないようにするには、どうすればよいのか?

それは、他の人の人生を勉強することや、宗教を学ぶことなのだ。

哲学もそう。有名な方の立志伝を読むこともそう。

ある年齢になると、親がいってたことがどれだけ正しかったかがわかってくる。

「勉強しなさい」「挨拶しなさい」etc......

だから、ある程度の年齢になればわかるんだと思う。

「あーこいつとは結婚したのは失敗だったな」とかもそうなんだろう。

でも、歳を取ってから気づいても遅い。

だから勉強したり、指導してくれるような人につくことが大事なんだと思う。


それからだ、宗教や哲学。右翼、左翼。いろいろな思想が世の中にある。

でもそのほとんどが「人生を幸せにしたい。人生を幸せにするには?」という目的をもって、

仲間になり、考えている集団なんだと思うようになった。


それをベースに考えると偏見はなくなった。


実はすべての思想や宗教、立志伝や哲学は


「すべて事例集なんじゃないか?」

そう思うようになった。


正しい宗教や哲学にならかかわりたいけど、「幸せにするならば他人を害してもいい」というところもあるのも事実だし。

その辺は考えないとだめだと思う。

ただ、やはり


「釈迦がいいました。こういう場合はこうしなさい」

「キリストがいいました、こういう場合はこうしなさい」など

すべては人間がある条件のもとで選択にせまられた時。

どうすれば うまくいくのかを導くものなのだと思う。

そういう意味では、運命をつかさどる宗教も教えていることは「選択」なのかも知れない。



また、自分でもどうしていいかわからないことがある。

どっちを選べばいいか?と迷うときがある。


必ず正しい答えはある。

それを極めていくことが、人生を極める事。成功する事。幸せになることなんだと思う。


自分はそういう考えに関われたことで、


もしかしたら今自分が悩んでいるのは「自分が無知なだけ」なのかも知れない。


とおもえるようになった。



「自分で決断していこう。」

「必ず答えがあるはずだ。」

「わからないのは、自分が無知なだけだ」



と言い聞かせられるようになった。



今直面している「人生は選択」。

もし、自分に出会いがあったら、それは運命。

そう思うようにして、生きるようになった。


それからだ、前向きに頑張れるようになったのは。

2013年10月8日火曜日

おもてなし。

ある会社(名前出てるね)に訪問したら、玄関にウェルカムボードが。

こうした、気遣いが出来る会社って素晴らしい。
打ち合わせに入る前から気分がいい。

こういうホスピタリティのある会社はお客様にファンが多くんだろうな。




2013年10月7日月曜日

職業人口問題

日本人の人口が減少し、高齢化が進む。


みんな簡単に考えているが、


安全保障上はかなり危険な事だと思う。


例えば、各職業の人口構成比率が今後の高齢化とかみ合ってしまい、


「自衛隊」
「警察官」
「消防士」

などの職業で、例えば自衛隊の80%が50歳以上だったらどうなってしまうと思う?

警察官の80%が50歳位上だったら?


若い力が必要な職業って必ずある。


特に安全保障上、国の根幹に関わる重要な職業に多い。


これらに関しては、外人を雇用する事が出来ない業種なのだ。


今、ニートだなんだと、若者を活用してないけど。


実際は、若い人に、活力を与えて、そういう仕事も与え、


更には、結婚をさせ。ということをしていかないと、


結果として、幹部だけではなりたたない業種っていうのもあるわけだから、


国家的戦略として、人口戦略もしていかないと、まずいと思う。

2013年10月3日木曜日

人生は、「決断」と「体験」の積み重ね。「失敗」なんてありません。すべて「経験」なんだから。

自分の尊敬する哲学者の芳村思風さんの言葉から。


==========================================================
人生は、「決断」と「体験」の積み重ね。「失敗」なんてありません。
すべて「経験」なんだから。

芳村思風

==========================================================


決断で大事なのは、選らばなかったもののすべての可能性を
捨て去ることです。

断ち切ることです。捨てる勇気を持つことです。

「この道しかない」「この人しかいない」と信じること。

自分のもてる能力・知識・経験をすべて使って選ぶ道を決める。
そして、その「決断にかける」。他の道を断ち切ること。

決断に失敗はない。

最高の道を選んだ、最高の決断をしたと信じること。

過去や今を否定しては、未来は語れません。
どんな苦しいことも、辛いことも
成長していくために必要なことだったのです。
体験しなければ、真実は語れません。

病気にならなければ、
病気の人の本当の気持ちを理解することができません。
離婚したことのない人に、離婚の苦しさはわかりません。

病気や離婚は、しない方がいいが、もしそうなったとしても、
それを経験・体験として、活かすことができる時が必ず来るのです。

失敗ではありません、すべて体験です。

だから人生に失敗の人生はありません。
人生は、成長の連続なのです。

==========================================================

この道でいくんだ。


そう決めても、他の道を断てないことが多い。

あぁ~やっぱり間違いだったか・・・

未来も過去も変えられる?

未来は、もちろんそうだけれども、過去も?

あんな事があったから・・・
こっちの道を選んだから・・・
と思っている時は、過去は、嫌な思い出でしかない。

あんな事があったからこそ、今の自分があるんだ。
あの時苦しんだからこそ・・・
と思えたとき、過去は失敗でなく、経験になる。

今を懸命に生きること。

体験と経験の違い

体験…肉体を通して学んだ事実
経験…経験から学んだ知恵

今日寝て、起きたら、また今日。
永遠に明日は来ない。
今日、今の連続。

一日一日を精一杯生きること。

『あんなこともあったね』
と笑って言える日がきっと来る!


---

すごくいいこと言うよな。。。。頑張らなきゃ。

ため息ばかりついてる自分にさよならしなきゃ。

2013年10月2日水曜日

空手道場

昔の話だけど。

高校の時から、ずっと空手をやっていた。

フルコンタクト空手で、ガンガン打ちあう流派で、毎日傷だらけになりながら頑張っていた。

それで、高校を卒業して、札幌に引っ越すことになったんだけど、

全国規模で大きい流派だったんだけど、たまたまその時の支部長が仕事が忙しくて、

支部がなくなっていた。

でも自分は続けたいので、当時の地元の師範代に相談すると、

「悩むことないだろ。お前がやれ」

の一言。

一瞬で、空手の支部を任されることになった。

最初は、道場もなく。当然道場生も全くいない。

そんな状態。

いろんな雑誌にお願いして、道場生を集め。

一人で練習して、ウェイトして、基本稽古、移動稽古。マススパーリング(シャドー)をやる毎日。

なんか、とても空しい感じだった。

だけど、しばらくすると、一人、また一人。と集まってきた。

ちょうど格闘技ブームが始まったころだったのだ。

前田日明がリングスをやっていたり、異種格闘技の交流がはじまった時代。

正道会館がK-1をはじめたころだった。

ちょうど、うちの流派には、日本最強と呼ばれていた人がいたので、

話題もあり、道場生もかなり多く集まっていた。

そんなこもあり、1-2年かながんばっていた。

けれど、その時は、体育館を間借りしてやっていたので、北広島の体育館だったり、白石体育館だったり、学校開放だったり。

毎回場所が違う。練習先。

どうにか常設道場がほしいなー。

そう思ってたときだった。

ある日の道場の帰り、雪の日だった。

自分は北広島に住んでいたので、大曲を車で走っていたら、

セブンイレブンのある交差点の前で、後から追突された。

正直車も壊れたし、モノとかも壊れたんだけど、その時に自分は居眠り運転の事故ばっかり起こしてたので、

「かわいそうだなー」って被害者なのに。思ってた。

で、相手の車はボンゴかなんかのボロボロのワンボックス。

たぶんお金ない貧乏人だ。と思ったおれは。

「大丈夫ですか?大変ですよね」といって、警察が来るのまでに缶コーヒーのあったかいのを買ってきて渡して話していた。

そして、警察がきてから物損の現場検証をして、お互いの話を説明。

俺は「空手の帰りです」という話をして、相手の番になったら、相手は「家のセルシオに免許がある」「自分は社長だ」とかいってるので、

あー、ウソつきなのかな。

と思ってた。

そうして、連絡先を交換し、別れる時。「ぜひ明日家にきてほしい」とのこと。

わかりました。といってみたものの。住所はどう見ても「パチンコ屋さん」

当時のパチンコは正直いまより黒いというかグレーな印象でしかなかったので、

かなり緊張のビビリまくりで、友達といっしょにいくことになった。



そして、友達と訪問した。

すると、相手は朝鮮系の方でパチンコ屋さんのチェーンの社長。

家は大理石張りで豪華絢爛。

しかも、偶然っていうのはすごい。東京でたまたま同じ流派で空手をやっていたのだ。

すっかり意気投合した自分は、空手の事。道場のこと。

などなどいろいろな話を一生懸命に説明した。

すると、「うちのビル使いませんか?」

という話。

琴似の駅前にパチンコ屋があり、その地下のスペースを使っていいとのこと。

突然の出来事にびっくり。

運命なんだろうな。と考えつつ。ありがたく話をいただき、

道場を開設した。北海道本部として。


その後自分は空手をやめてしまったし、東京の本部から指導員の方も来ていただいた。


本当に出会いって不思議だと思う。

ただの事故の確率だって低いのに、同じ流派で空手やっていて、たまたま良くしてくれたことに感動したといってくれた。

縁ってすごいものだと思う。

思い出すと、うれしくなる。あの日の出会いが

2013年10月1日火曜日

全ては借り物

「すべては借り物」




そう思った時から、気持ちが楽になった。




独立したてのころ。



何でも欲しかった。



車も、家も、女も、欲しいものがたくさんあった。




だからこそ、元社員に裏切られて、だまされて、


全てを失った時。


苦しみが大きかった。




だけど、ある日。



もしかして、すべて買い戻せばいいじゃないか?


いま手元にないだけじゃないか?



というよりも、そもそも自分のものなんてないんじゃないか?




という気持ちになった。



それからはすごくに楽になった。




必要なときだけ手元にあればいい。




そう思った瞬間から、物欲が少なくなった。



本当に大事なものは、自分のものにしなければならないけど。



それ以外はすべては借り物。




自分のものなんて一つもない。



だから、欲張ってはいけない。