2014年7月24日木曜日

昨日は父の命日


仕事の話は機密が多くて、なかなかポジティヴな事がかけなくて、
いつも微妙な話題ですみません。


昨日23日は父の命日でした。

平成9年の7月23日に父は亡くなりました。


どんなに贔屓目に見ても、
本当にワガママで、自分勝手で、どうしようもない父でした。
正直恨むことも沢山ありました。


知識に対して貪欲で、様々な事を知ろうという探究心。
仕事に対しての取組み方。
仕事に関しての真剣さ。

誰よりも努力家で、頑張っていましたのだけは自慢でした。
今でも本当に尊敬しています。
殆ど寝ているのは見たことがない父でした。

酒もタバコも一切飲まず、博打もせず、人付き合いが本当に下手で、不器用でしたが。

仕事に関する努力の大切さは教えてくれました。


父の死のきっかけは計画倒産をした知人男性の連帯保証人をしていた事でした。
連帯保証債務と自分の事業債務で、大変だったのだと思います。
※とは言ってもたすき掛け保証をした父も悪い。

きっかけ自体は人のことが原因なんだからいいじゃないか?
楽になって欲しい。破産をして、もう一度人生をやり直そうよと説得を続けました。

自分が住んでいた札幌から父のいる実家の釧路までは350キロ。
半年以上、毎週700キロ往復して説得しました。

昭和9年産まれで、頑固でプライドが生命よりも大切な父は言うことを聞きませんでした。

自分は亡くなる二日前。
母に手は出したりしませんでしたが、誤解からの勘違いで「出ていけ」
といったらしいです。

それを聴いた自分は母に

「一度家を出たらいいんじゃない?自分も毎週通ってたけど。今週は行かないようにするから。わかってもらうには一度距離を置くそれしかないよ。」

そういいました。


自分も実家に帰らず。母も1日だけだったけど。家を出ました。


その翌日父が亡くなりました。
心配した母が次の日、家に帰り異変を感じました。

父が亡くなっていました。


その日。自分の人生にとって大きな十字架を背負うことになりました。

自分の一言がもしかしたら、父を死においやってしまったのではないか?
そう考えるようになりました。


その出来事で学んだ事。


「人への愛情は駆け引きしては行けないと言うこと。」

「人を助けたいと思うのであれば、徹底して変わるまで責任もって関わること。」


でした。

その後、自分は父の連帯保証で結果として、数千万円クラスの債務を背負ってしまいましたが、
この死をきっかけに23歳で独立起業を決意し、頑張って働き、半年で完済しました。


父の死からの独立起業。

自分の人生の明らかにターニングポイントになりましたし、もう心の整理もつきました。

この件があったからこそ、

バカだと言われても、自分に救いを求めてくる人には精一杯の力で対応してあげたい。

そう思うようになりました。


そしてそれからは深い人間関係が築けるようになりました。


確かに大変な事もたくさんありますが、一度切りの人生。

どれだけ多くの人の人生に関われたのか、良い方向で関われたのか?
というのが人間の価値の一つだと思っています。


自分はお人好しのバカと言われる事が多いけど。


自分に課せられた十字架を背負って、
もっと多くの人に頼られ、たすけられる人間になりたい。そう思っています。

お金は拾い直せるけど、時間と生命は戻らない。

だから、お金よりも、助けなければならない人がいればそれをとるようにしたい。


人間は必ず死にます。

でも何かをしてあげれば、その人の心の中では人は思い出として生きている。


それならば、人に思い出に残るような救いの種を撒くことが自分の人生の価値といえるんじゃないかな?

肉体が死んでも、思い出としてでも生き続けられるのでは?

だからこそ、人に対して一生懸命に何かを与えられる人間になろう。

そういう思いを根底に持つようになりました。


保証人や騙されたお金で、結果として返済したお金は数億円

バカで損な生き方だな。。。。人はそういいます。
でも、それなりの理由があるのです。



せっかくなので、父の命日には、父の事。色々と考えてあげなきゃ。

そう思いで書いてみました。


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