人生は運命か選択か?
自分が会社をはじめるきっかけになったのが、この課題だった。
あまりに不幸なことが起こるもんだから、
人生や運命には勝てない。
そう思った。
自分がどんなに努力しても、もともと不幸な運命をもっているおれには幸せは訪れない。
そう思ってた。
実際、借金を数千万かぶって、第三者破産をかけさせる。って言われたときは、
どうしていいかわかんなかった。
っていうか、自分でした借金ではないので、どうでもよくなった。
だから、なんか自暴自棄になっていたんだけど、
ある日、経営者向けの研修にさそわれた。
そこで、自分で学んだことは、本当に自分の人生を変えたと思う。
勉強している内容は本当に簡単なものだ。
たとえば「性格は変わるか?変わらないか?」といわれれば、前の自分ならば「絶対に変わらない」
と答えていた。
けれど、研修で学んだのは、「性格は第三者が決めている」ということ。
自分が発信している情報を第三者がキャッチして、
それを総合的に判断して、自分の性格を判断している。
「表情」「声の大きさ」「姿勢」「態度」「言葉づかい」「積極的か消極的か」などなど
いろいろな情報を人間は自然とまわりに発信している。
でも、これらの要因ってたとえば「表情」これって変えられる。
「声の大きさ」これも変えられる。
「姿勢」これも
これも。
実は性格を決めているものって、全部が意識をすれば変えられるものだけなのだ。
そういう風に人間を科学的に勉強していった。
しかも座学ではなく、実際に研修として心理学や哲学、経営学までを勉強していった。
研修は三日間だったけれど。衝撃的だった。
その中であったのが、「人生は選択」という話。
人生は、AかBかと常に選択をせまられる。その選択によって人生が決まる。
幸せに生きるにはどうすればいいのか?
それは、間違った選択をしないということなのだ。
じゃあ間違った選択をしないようにするには、どうすればよいのか?
それは、他の人の人生を勉強することや、宗教を学ぶことなのだ。
哲学もそうだと思う。有名な方の立志伝を読むこともそう。
ある年齢になると、親がいってたことがどれだけ正しかったかがわかってくる。
「勉強しなさい」「挨拶しなさい」etc......
だから、ある程度の年齢になればわかるんだと思う。
「あーこいつとは結婚したのは失敗だったな」とかもそうなんだろう。
でも、年取ってから気づいても遅い。だから勉強したり、指導してくれるようなものにつくことが大事なんだと思う。
それからだ、宗教や哲学。右翼、左翼。いろいろな思想が世の中にある。
でもそのほとんどが「人生を幸せにしたい。人生を幸せにするには?」という目的をもって、
仲間になり、考えている集団なんだと思う。
それをベースに考えると偏見はなくなった。
ただ、自分自身は、やはりどこにでも所属しようとは思わないけどね。
正しい宗教や哲学にならかかわりたいけど、「幸せにするならば他人を害してもいい」というところもあるのも事実だし。
その辺は考えないとだめだと思う。
ただ、やはり「釈迦がいいました。こういう場合はこうしなさい」「キリストがいいました、こういう場合はこうしなさい」など
すべては人間に選択肢が与えられた時に、どうすればうまくいくかを指導しているものだと思う。
そういう意味では、運命をつかさどる宗教でも、「選択」なのかも知れない。
また、自分でもどうしていいかわからないことがある。
どっちを選べばいいか?と迷うときがある。
でも、必ず正しい答えはある。
それを極めていくことが、人生なんだと思う。
自分はそういう考えに関われたことで、もしかしたら自分が無知なだけなのかも知れない。
とおもえるようになった。
「自分で決断していこう。」
「必ず答えがあるはずだ。」
「わからないのは、自分が無知なだけだ」
と言い聞かせられるようになった。
今直面している「人生は選択」。
もし、自分に出会いがあったら、それは運命。
そう思うようにして生きるようになった。
それからだ、前向きに頑張れるようになったのは。
それが15年前。
今再び、初心に帰る時が来てると思う。
自分の行動を考えなきゃ。
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