2013年10月9日水曜日

人生は選択

自分が会社をはじめるきっかけになったのが、この課題だった。


あまりに不幸なことが起こるもんだから、


人生や運命には勝てない。


そう思っていた時だった。


自分がどんなに努力しても、もともと不幸な運命を持っている自分には幸せは訪れない。


そういう観念に頭が支配されていた。


実際、父親が自殺し借金を数千万かぶって、第三者破産をかけさせる。って言われたときは、


どうしていいかわからなかった。


というか、自分でした借金ではないので、どうでもよくなった。


だから、なんか自暴自棄になっていたんだけど、


ある日、とある社長に経営者向けの研修にさそわれた。

※自分が投資会社に勤めていた頃のお客さんで、数千万円損をさせて人だった。

そこで、自分で学んだことは、本当に自分の人生を変えたと思う。


勉強している内容は本当に簡単なものだ。


たとえば「性格は変わるか?変わらないか?」といわれれば、

前の自分ならば「絶対に変わらない」

と答えていた。


けれど、研修で学んだのは、

「性格はその本人から発せられた様々な情報を第三者が見て、感じて、その情報を基に決めている」
ということ。


自分が発信している情報を第三者がキャッチして、


それを総合的に判断して、自分の性格を判断している。


「表情」「声の大きさ」「姿勢」「態度」「言葉づかい」「積極的か消極的か」などなど


人間はいろいろな情報を自然と周囲に発信している。


たとえば「表情」これは、意識すれば変えられる。

「声の大きさ」これも変えられる。

「姿勢」これも変えられる。

「言葉遣い」これもだ。


実は性格を決めているものって、全部が意識をすれば変えられるものだけなのだ。

そういう風に人間というものを科学的に勉強していった。


しかも座学ではなく、実際に体験型の研修として

心理学や哲学、経営学までを勉強していった。

研修は三日間だったけれど。衝撃的だった。



その中であったのが、「人生は選択」という話。

人生は、AかBかと常に選択をせまられる。

その選択によって人生が決まる。

幸せに生きるにはどうすればいいのか?

それは、間違った選択をしないということなのだ。

じゃあ間違った選択をしないようにするには、どうすればよいのか?

それは、他の人の人生を勉強することや、宗教を学ぶことなのだ。

哲学もそう。有名な方の立志伝を読むこともそう。

ある年齢になると、親がいってたことがどれだけ正しかったかがわかってくる。

「勉強しなさい」「挨拶しなさい」etc......

だから、ある程度の年齢になればわかるんだと思う。

「あーこいつとは結婚したのは失敗だったな」とかもそうなんだろう。

でも、歳を取ってから気づいても遅い。

だから勉強したり、指導してくれるような人につくことが大事なんだと思う。


それからだ、宗教や哲学。右翼、左翼。いろいろな思想が世の中にある。

でもそのほとんどが「人生を幸せにしたい。人生を幸せにするには?」という目的をもって、

仲間になり、考えている集団なんだと思うようになった。


それをベースに考えると偏見はなくなった。


実はすべての思想や宗教、立志伝や哲学は


「すべて事例集なんじゃないか?」

そう思うようになった。


正しい宗教や哲学にならかかわりたいけど、「幸せにするならば他人を害してもいい」というところもあるのも事実だし。

その辺は考えないとだめだと思う。

ただ、やはり


「釈迦がいいました。こういう場合はこうしなさい」

「キリストがいいました、こういう場合はこうしなさい」など

すべては人間がある条件のもとで選択にせまられた時。

どうすれば うまくいくのかを導くものなのだと思う。

そういう意味では、運命をつかさどる宗教も教えていることは「選択」なのかも知れない。



また、自分でもどうしていいかわからないことがある。

どっちを選べばいいか?と迷うときがある。


必ず正しい答えはある。

それを極めていくことが、人生を極める事。成功する事。幸せになることなんだと思う。


自分はそういう考えに関われたことで、


もしかしたら今自分が悩んでいるのは「自分が無知なだけ」なのかも知れない。


とおもえるようになった。



「自分で決断していこう。」

「必ず答えがあるはずだ。」

「わからないのは、自分が無知なだけだ」



と言い聞かせられるようになった。



今直面している「人生は選択」。

もし、自分に出会いがあったら、それは運命。

そう思うようにして、生きるようになった。


それからだ、前向きに頑張れるようになったのは。

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